お父さんの子でよかった。
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『今年もマフラー使うんだーうれしいなあ!ありがとう!』って
プレゼントした時の同じテンションで喜んでくれる父。
15年も前に編んだのに、毎年丁寧につけてくれてた。
2025年ぽかぽかの秋の日に
大好きな父が眠るようにさよならしました。
それまでの母は 喜怒哀楽の『喜』と『楽』ばかりの人。
鳥が鳴いては楽しいと、お花が咲いてはうれしいと
”たのしい”と”うれしい”の表現ばかりの人だったのに
父との急な別れに母は
”急なのよ”と怒り、”どうしてよ”と悲しむばかり。
でも母が嘆き、流してくれる涙のお陰で、
ただただ目の前の事務的な手続きや、これから暫くのことを
話して進めることが出来た1か月。
遺影の写真を家族で悩みながら
アルバムを開くと
イベント好きな父がよみがえる。
三姉妹が小学生だったころ、
親戚みんなでサイクリングしたり
キャンプに行ったり
お餅つきをしたり。
夏には父は親戚中を集めて、打ち上げ花火を並べて点火を繰り返す花火大会をした。
公園近くの近所の家の窓から拍手喝さいがおこるほどの
大花火大会を毎年。
『○○大会好き』『乾杯好き』だから。お父さん。
と、涙の向こうで少しだけ笑った母の横顔に安心した。
そして写真ばっかり撮ってる父だったから
全然父自身の写真がなくて困ったけど。
葬儀で初めて知ったこと。
父は、5人兄妹の長男として生まれ、
11歳で自分のお父さんを亡くし
12歳から働いていた。
夜間の学校に通いながら愛媛から上京した。
それから下の弟妹たちも東京に呼び寄せて
学校にも通わせて。
『苦労した人です』と母が
喪主としての挨拶にポツリと言った。
『くろう』という言葉の、本当の苦労話は
私には計り知れない。
そしてそれを微塵も知らせず、感じさせず、
いつも笑って、育ててくれた父と母。
全然知らなかったよ。わたし。
そんな『くろう』。
ちょっと位、こぼしてくれてもよかったのに。
武勇伝として自慢してくれてもよかったのに。
あまり泣かない私を心配したのはユウ。
毎日大学からいそいで帰ってきて
お茶を淹れては手を握ってくれたりした。
”お母さん、だいじょうぶ?、あ、大丈夫?って聞くの良くないよね。
大丈夫って返すしかないもんね”と独り言の様な言葉と
やさしい空気でいつも私を包んでくれた。
だいじょうぶ。
だいじょうぶ。
だいじょうぶだよ。ユウ。
いつか、おばあちゃんのお父さんやお母さん
ユウのひいおじいちゃんや ひいおばあちゃんとの
お別れの話もさせてね。
あの時の両親の少ない涙の理由が今更わかる。
大切な人とのお別れは
とてもとてもとても苦しいけれど
でも
父がつないでくれたお陰で
私はお姉ちゃんに会えた。
妹に会えた。
黒幕と家族になれた。
そして大好きな大好きなユウに会えてる。
ユウが居ることが
どんなに私を支えてくれているか。
どこから話そう。
悲しいけど
ありがとうでいっぱい。
今年のお誕生日ほど
生まれてきて幸せです。と思ったお誕生日はないの。
お父さんありがとうって思ったお誕生日はないの。
お父さんが、お母さんと出会って
つないでくれた自分だから
お父さんが居てくれて
姉妹に会えて
黒幕に、ユウに会えたのだから
”自分も大切にしよう”と
思えてる今です。
お父さんの
『○○大会好き』
『乾杯好き』
受けついでいくね。
お父さん、私
お父さんの子でよかった。編集済み ·